ハンバーガーを待つ3分間の値段

「ザ・タワー」や「シーマン」、これから出る任天堂期待の新作「大玉」などを手がけたゲームクリエイター斉藤由多加氏の本。
元となったのは「ほぼ日」で連載されていた「斉藤由多加の「頭のなか」。」
副題に「ゲームクリエイターの発想法」とあるので、アイデアの出し方的な本かなとおもったら、むしろ情報についての本。これがまた実に端的にすごいことがいっぱい書いてある。


情報について。

情報というのは、売り手に「より有利な未来を選択する権利」を与えるもの、と思います。

なんら選択肢があたえられていないものは「情報」とは言わずに「通告」とか「通達」とか、あるいは「宣告」などと言われているのではないかと思うのです。

ハンバーガーができるのに3分少々お待ちいただくことになりますが、いかがいたしましょうか?」
ハンバーガーを作るのに時間がかかるときにマックの店員がいう言葉。
これにより、客は待つかそれ以外にするかを選択することができる。
これが情報であると。
「より有利な未来を選択する権利」のないものは、情報ではない。
ただ単にモノやサービスを売るだけではなく、そのような情報を提供していく配慮がますます必要となっていく、ということを物凄い重要な考え方だなぁ。


インターネットでの情報サービスについても。
さまざまなコンテンツ配信サイトがあったが、結局残っているのは「場」に徹したサイト。フォーマットだけを提供し、利用者自身がコンテンツを作っているサイト。という話。

デジタル情報産業に関わっていて感じるのは、情報とお金の相性の悪さです。重さも形もない情報を物質的な価値と交換する、ということは実は不可能なことではないか、と思うことがあります。

極論からすれば情報提供の対価は情報でしかあり得ないのではないか、とすら思えます。

実はコミュニケーションというのは、本来、受け手と送り手が明確に分かれていない。
(略)
つまりインタラクティブというのは、読み手と利用者がいつの間にか情報提供者になっていることを意味しているわけで、それを自然な形で実現しているのが前述の"場"ではないかと思います。

情報をお金で売ろうとせずに、情報を置いていってもらう、お金は付随する物質的なものにのみ発生させる、それが継続可能な情報サービスの姿のようです。

利用者がいつの間にか情報提供者になっていること。
ソーシャルブックマークなんかはまさにそうだよなぁ。
Web2.0


それ以外にも転載したいところがいっぱいありすぎ。
シーマン」の音声認識能力の低さをユーザーに責任転嫁して解決した話とか、これから出る「大玉」の話なんかも面白すぎる。
読んでてテンションがあがる本に久しぶりに出会いました。